つよぽんの結び物語

御縁を結び、ギフトを生きる。

ヴィパッサナー瞑想合宿に初めて参加してみて感じたことアレコレ

f:id:tsuyoshi1990:20180918211629j:plain


9/1〜9/12
京都にあるヴィパッサナー瞑想センター、
ダンマバーヌへ行ってきました〜♪
 
今回はこの期間の中でぼくが、
体験したことや、感じたことを
アレコレ書いていこうと思います。
 
まとまりもなくダラダラと、
長くなってしまっていますが、
興味のある方はぜひ最後まで
お付き合いくださいませ。
 
 
そもそも、
ヴィパッサナー瞑想とはなんなのか〜
ってところなんですが、
 
ヴィパッサナー瞑想とは、
インドの最も古い
瞑想法のひとつと言われており、
ヴィパッサナーという言葉には、
「物事をあるがままに観る」
という意味があるそうです。
 
今回、ぼくがなぜ、
ヴィパッサナー瞑想合宿に
参加しようと思ったのかというと、
不思議なことにぼくの周りには、
ヴィパッサナー瞑想
体験している人がなぜかとても多く(笑)
その皆から話を聞いたり、
「すごくよかったよ!
 つよぽんも行ってみたらいいよ!」
と口を揃えて
強く勧められたというのが
キッカケとしてあります。
 
ぼくも普段から瞑想を
実践していましたが、
きちんと瞑想法を
教わったことはなかったので、
今回、ヴィパッサナーの瞑想を
じっくりと時間をかけて学べることは、
とても楽しみでもありました。
 
当日になっていざ、
京都にある瞑想センターに
到着するやいなや、
数々の過酷な修行をしてきたであろう
修行好きそうな猛者たちの視線が
一斉にぼくの方へ集まります。
 
「お、なんかHUTER×HUTERの
 ハンター試験みたいやな…」

なんてことを考えながら、
簡単なアンケートの記入と
説明を受けます。
 
そのあとに
オリエンテーションが行われ、
そこからは、
ヴィパッサナーの規則を
守っての生活が始まります。
 
その規則の中でも
最も特徴的なのが
「聖なる沈黙」と呼ばれるもの。
 
聖なる沈黙とは、
身体、言語、精神の沈黙を指し、
会話はもちろんのこと、
目を合わせたり、
メモを書いたり、ジェスチャー
手話などのコミュニケーションも
禁じられています。
 
まぁでも、
指導者への質問や、
何かトラブルがあった時などは、
コースマネジャーと
話すことができますけどね。
 
ぼくがこの聖なる沈黙を
10日間続けて、
それが解禁され、
久しぶりに参加者と
話しをしてみて感じたのが、
 
「人と話すのって、
 こんなにもエネルギーを
 使うんだ…」
 
「今まで10日間ずっと、
 自分の内側へと向けていた
 意識は簡単にどこかへと
 行ってしまうんだな…」
 
ということ。
 
普段、人と関わる中で
自分がどれほどのエネルギーを
使ってコミュニケーションを
しているのかが体感を持って
気づかされました。
 
聖なる沈黙が
解禁された日の夜、
眠りにつく頃には、
いつもは感じてなかった空腹感や
疲労感を感じました。
 
また、
この誰ともコミュニケーションを
とらない生活をすると
イヤでも自分自身と
向き合うことになります。
 
自分のココロの声を
ダイレクトにそしてクリアに
受け取ることになります。
 
 
1日目の朝、
本格的に瞑想が始まります。
 
瞑想ホールに
参加者全員が集まり、
目をつむって
瞑想法の指導を受けます。
 
10日間のあいだ、
自然な呼吸、
カラダの感覚といった、
今この瞬間の
あるがままの自分の状態を
観察していきます。
 
HUNTER×HUNTER
 念能力の修行みたいやな…」
 
「この瞑想、攻防力を
 変化させていくやつやん…」
 
などと、
また余計なことが間髪入れず
浮かんでくるわけです。
 
この瞑想を実践していく中で、
「ココロ」がとても重要な
カギを握ってくるわけなんですが、、
 
僕自身、自分のココロは
まぁまぁそこそこ
落ち着いている方だと
思っていました。
 
しかし、
初日からぼくは、
絶望することとなります笑
 
「え、自分のココロって
 こんなにもおしゃべりで、
 あっちいったりこっちいったり、
 落ち着きのない子供のように
 コロコロと揺れるんや…」
 
「そして休むことなく
 延々としゃべっとるやん…」
 
それは吹き荒れる嵐と
表現してもいいかもしれません。
 
1日目は撃沈です。
 
ココロはあっちいったり、
こっちいったり、
さらに追い討ちをかけるように
膝や股関節の痛み、
腰の痛みなどが襲ってきて、
全く集中することが
できませんでした。
 
orz ←ほんまこんな感じ。
 
ヴィパッサナー瞑想合宿は、
まさに「内なる平和」を
手に入れるための
修行でした。
 
(「内なる平和」については、
 映画カンフーパンダを観てね!
 1,2,3三部作あるよ!)
 
※超おすすめ映画です。
 musubiでもたまに
 上映会やってます。 
 
 
3、4日目が過ぎるころ、
ようやくココロの沈め方が
わかってきます。
 
そして、
ココロとカラダが繋がっている
ということを体感として
理解し始めてきます。
 
このあたりは
ぼくの個人的な感覚になりますが、
ココロが静まり、
カラダの痛みの部分を
客観的に観察していると、
その痛みがすぅ〜っと
消えていったんです。
 
「あ、今は、
 膝に痛みを感じてるんだ」
 
「腰に痛みを感じているんだね
 へぇ〜そうなんだね〜」
 
つよぽん今、
 姿勢を変えたいと、
 思ってるね〜」
 
と、他人事のような
感覚で観ていると(笑)
本当に痛みが消えていくんです。 
 
しかし、
再びまたココロの平静さを欠き、
嵐が吹き始めると、
痛みが現れ始めます。
 
そしてさらにここで
面白い発見があったんですが、
過去の後悔や不安といった
ネガティブなことを考えて、
モヤモヤしている時に限らず、
 
明るい未来を想像して、
ワクワクキラキラ
ポジティブなことを
考えている時ですら、
痛みは現れたんです。
 
つまりどちらもココロが
乱れているということ。
 
内なる平和は
想像以上に難しいことを
思い知らされました。
 
ココロをイマココ、
今この瞬間ににおいて
おかなければ、
内なる平和は訪れないのです。
 
 
今この瞬間の
あるがままの自分を
そのまま受け入れる
 
今の自分はこんな状態。
それでいいんだ。
それを受け止め、
受け入れる。
 
 
修行は続きます…
 
 
10日間の中でも
「アニッチャー」という言葉と
「サンカーラ」という言葉は
よく聞かされます。
 
何度も何度もその言葉が
繰り返し出てくるということは、
それだけ大事な言葉だと
いうことです。
 
どちらもパーリ語といって、
インドの古語になります。
 
まず「アニッチャー」は、
「無常」という意味で、
生じては消え、
消えては生まれるという
意味だそうです。
 
この世界、宇宙は、
アニッチャー、
全ては移り変わる。
 
カラダに生じる痛みや痒み、
痺れもアニッチャー。
 
ココロの動きもアニッチャー。
 
人も動物も植物も
生じては消え、
消えては生まれる。
 
まるで波のように。
 
 
そしてサンカーラ。
 
サンカーラに関しては、
幅広い意味があるので、
コレ!といった感じで
表すことは難しいのですが、
「因果」とか「渇望」、
「嫌悪」や「執着」など
様々な意味があります。
 
良くも悪くも
サンカーラの種を蒔けば、
それが実った時に
それを摘み取るのは
自分自身だということ。
それが因果の法則。
 
この種をいかに蒔かないかが、
とても重要になってきます。
 
このアニッチャーと
サンカーラはぼくの中で
とても大きな学びとなり、
指針となりました。
 
 
そんな中で、
ひとつの気づきがありました。
 
「渇望」「嫌悪」「執着」には
必ず苦しみが伴うそうです。
 
その中でも「渇望」という
サンカーラにぼくは
なるほどおもしろいなと
思いました。
 
渇望とはつまり、
「強い願望」です。
 
夢や目標も願望です。
「〇〇になりたい!」とか
「〇〇に行きたい!」とか
「〇〇が欲しい!」とか
「こうなってほしい!」とか
「あの体験をもう一度
 味わいたい!」など。
 
その願望を叶えるためには、
それ相応の努力や時間、
お金などの多くのエネルギーを
必要とします。
 
その夢の道の途中で
挫折を味わうことも
あるでしょう。
 
そういった願望を叶えるために
使うエネルギーのことを
「苦しみ」と表現することも
できるでしょう。
 
でも、その苦しみを経て、
夢が叶い、目標が達成された時、
人は喜び、歓喜するのです。
 
どん底を味わえば味わうほど、
その期間が長ければ長いほど、
達成された時の歓喜
これ以上ないほどの
喜びとなるでしょう。
 
しかし、
その喜びが大きければ大きいほど、
またあの歓喜を味わいたいと
「渇望」するのです。
 
で、ぼくはもうそれを
望んでいないのだなと
気づきました。
 
別に夢を持つことや、
歓喜することを
否定しているわけではありません。
 
夢がある人はそれを
追いかければいいと思いますし、
応援もします。
 
ただ、
そこには苦しみが伴うことを
理解しておいてもらえたらなと。
 
ぼくは散々、
もうこれ以上ないほど、
人生の歓喜を味わってきました。
 
どん底も経験してきました。
死ぬ一歩手前も経験しています。
 
そこから這い上がって、
得た歓喜はもうこれから先、
超えることはないと思います。 
求めれば(渇望すれば)
味わうことが
できるかもしれませんが…。
 
それよりもぼくは、
「平静であり続けること」
 
それがぼくの幸せであると
腑に落ちまくってしまいました。
 
「平静」とは一見、
はたから見たら、
地味でつまらない感じがしますが、
本当の平静さは、
これ以上ないほどの
幸福感を感じます。
 
これは味わった人なら、
わかってくれると思います。
 
10日間の瞑想の中で、
たった数十秒間だけ味わった
不思議な感覚。
 
全身の感覚、
音も匂いも味覚も
肌の感覚も痛みも痺れも
何も感じなくなり、
頭の中が光だけで
包まれた数十秒間。
 
自分のカラダが
空気中に、水の中に
溶け出してしまったような感覚。
 
床に座ってるのか、
浮いているのかもわからず、
時が止まってしまったような
時間の概念すら
なくなってしまった瞬間。
 
これ以上ないほど、
本当に幸せな瞬間でした。
 
それは風も波紋も何もない、
静まりかえった、
真夜中の水面のようでした。
 
本物の静寂とはこのことなんだと、
身をもって実感しました。
 
 
ぼくが求めていたのは、
コレだって思いました。
 
おそらく文章だけでは、
100分の1も伝わらないと
思います。
 
それでもここに
書いておきたかった。
 
 
瞑想合宿期間中、
ぼくは何度も何度も
未来のことや過去のことを
考えていました。
(瞑想中は意識をすること以外
 何も考えてはいけません笑)

昔の友達のこと、
お世話になった恩師たちのこと、
昔付き合ってた彼女のこと、
傷つけてしまった人たちのこと、
母親のこと、
漫画や映画の名シーン、
親友の変顔、女性の裸、
ああしておけばよかった、
こうしておけばよかった、
合宿が終わってからのこと、
これからのこと…
 
そんなことを考えている時は、
だいたい膝や腰、股関節の
痛みが強く出ます。
 
でも、
いかんいかん!と、
ココロの風を静めると
痛みも自然と消えていく。
 
それでもココロの風が
静まらないことがあります。
 
そんな時は、
過去の許せなかった人、
自分を傷つけた人、
自分が傷つけてしまった人、
許せなかった自分、
その人たちに
「あの時はごめんね」
と懺悔の想いを伝え、
 
「あのときがあったから、
 今の自分がいるよ。
 本当にありがとう」
と感謝を伝え、
 
過ちを犯してしまった自分を
“許す”ということを
丁寧にしていったら
痛みが自然と消えていったんです。
 
この時も改めて
「ああ、やっぱり
 ココロとカラダは
 繋がってるんやな」
と思いました。
 
 
そんなことを続けていったら、
合宿10日目には、
一切、微動だにせず、
座り続けることが
できるようになっていました。
 
ココロが乱れて
風が吹き始めそうになっても、
すぐに静寂を取り戻すことが
できるようになっていました。
 
人間のカラダは本当に
おもしろいな〜と
思いました。
 
答えはすべて
自分の内側にあると
確信しました。
 
内側は宇宙です。
 
答えを外に求めても、
何も見つからないでしょう。
 
世の中のほとんどの人が
外側に答えを求めて、
堂々巡りをしてしまって
苦しんでいるのだと思います。
 
こんなにも近くに
そして長い間ずっと、
一緒に歩き続けてきた。
 
それがワタシ。
それが答え。
 
ワタシは波。
宇宙も波。
 
生じては消え、
消えては生まれる。
 
ワタシは宇宙。
宇宙もワタシ。
 
 
これ以外にもまだまだ、
書ききれないほどの学びが
たくさんありました。
 
それはぼくと
会った時にでも
直接聞いてください。
 
本当に最高の10日間でした。
 
このぼくの言葉を聞いて
少しでも気になった人は、
ぜひ参加してみてください。
 
ぼくと同じ体験が
できるわけではないと思いますが、
得るものは大きいと思います。
 
 
また、
このヴィパッサナーの、
宿泊施設や食費、
水道光熱費や雑費といった
運営費はすべて、
前に参加した生徒たちの
ダーナ(寄付)で
すべて成り立っています。

f:id:tsuyoshi1990:20180918211759j:plain


それが本当にすごいことだなと、
驚愕してしまいました。
 
ヴィパッサナーの
瞑想センターは世界中に
めちゃくちゃ
たくさんあります。
 
それらすべてが寄付(ダーナ)
恩送りで成り立っていることが、
ギフトシェアの世界を
生きるぼくにとっては
とても嬉しいことでした。

f:id:tsuyoshi1990:20180918211848j:plain

f:id:tsuyoshi1990:20180918211939j:plain


ヴィパッサナーやダンマは、
ゴータマ・ブッダが説いていることでは
ありますが宗教ではありません。
 
宗教になることをブッダ
望んでいませんでした。
 
ヴィパッサナーやダンマは、
自然の法です。
 
太陽が昇れば明るくなり、
沈めば夜になります。
 
手に持っているリンゴを
離せば下に落ちます。
 
油は水より軽いので浮きます。
石ころは水より重いので
底に沈みます。

それらはすべて自然の法です。
 
 
この自然の法に逆らうことなく、
あらがうことなく、
流れのままに生きること。
 
ぼくたちも自然の一部なんだから、
自然の流れに逆らって生きていたら
そら辛いですよ。
 
でも現代の多くの人が、
皆、自然に逆らって生きている。
だから苦しんでいる。
 
それがほんの少しでも楽に、
軽くなっていったらいいなと
思ってこれを書いてみました。
 
こんな、
なんのまとまりもなく
ダラダラ書きなぐった文章に
長々とお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。
 
最後まで読んでくれた人には、
ハグしちゃいます(*´∀`*)♪
 
 
すべての
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
 

f:id:tsuyoshi1990:20180918212340j:plain

 

===============

このブログを読んで、
つよぽんの活動を
お金というカタチで応援したい!
と思ってくださった方は、
こちらからお気持ちで
お願い致します(*´∀`*)♪

三菱UFJ銀行
入間支店
普通
コバヤシツヨシ
店番 : 606
口座番号 : 0199060

==================

【セッションもやってまーす☆】

f:id:tsuyoshi1990:20170504222244j:plain

【お金のお裾分けという挑戦♪】

f:id:tsuyoshi1990:20180817225116j:plain 

==================

Facebook : いろいろ更新中〜☆
Instagram : 趣味で写真とってるよ〜♪
 Twitter : ボチボチつぶやいてるよ〜☆